常に私たちは見られているのだ。
今日もやってきましたグダグタ哲学。
高校の頃、図書室で心理学や哲学の本を読み漁った身としては、こういった内容の話をぶちまける場所ができて嬉しい。
まず、ちょっと前までの私の神論。
神=自分である(!!!)
完璧に統失の陽性症状だが、あとで読み返すときのために書いておく。
神とは、その人自信のことである。
私にとっての神は私だし、あなたにとっての神はあなたなのだ。
なぜならば、私がどのように行動するか、私の人生を決めるのは私だからだ。
個人の人生を決めることができる存在、それは神でしかないと思っていた。
病状以上。
今の私は、神はその人その人個別に存在する観測者のことだと思う。
なぜ観測者と呼び方を変えるのかと言うと、世間で言うような”奇跡”を起こしてくれる存在ではないからだ。
神はただ人を見守る存在。それ以外なにもしれくれない。
だから観測者なのだ。
その観測者たちは、我々の言うところの天界におり、担当している生き物の観測をする。
そして、その生き物がよりよい存在になるためには、次はどういった環境に放り込むのが良いのかを考えているのだ。
その生物が死んだとき、観測者は次に放り込む体を決める。
人間、動物、魚、虫、植物……。
何を経験させれば良い魂になるのか。それだけを考えて担当魂を見守る存在なのだ。
うーん、哲学っていうより宗教?
とにかく、私の中での神はこんな感じ。