すべては監視者の思うままに。
Twitterのフォロワー、サコちゃんが興味深い記事を書いていた。
同じテーマで私も書いてみようと思う。
……の前に、そのサコちゃんのブログはこちら。
とても文章が上手く、頭にすんなり入ってくる文体で書く方なので、みなさんもぜひ読んで欲しい。
(私はサコちゃんの大ファンなのだ)
うちの母方の祖母(生きてる方)も同じことを言っていた。
人の寿命は生まれたときから決まっていると。
私もそれに賛成だ。なぜなら、監視者が「この人間はどれだけ生きたら魂の格が上がるか」を考え、決めているのだから。
良い人ほど早く死ぬなんて話もあるが、それは元々魂の格が高く、経験を積む必要が少なかった存在なのだろう。
だから、自殺したって意味がない。
「この魂はこれだけ苦しまないと成長できないな」と判断された存在は、今死んだとしても、次回また同じような苦しみを味わうことになる。
だから私は自殺しない。してみたいけど。
私には一生苦しむことが課せられた。
だから、もし死んだとしてもまた別の苦しみを味わわねばならない。
また統失になるかもしれないし、実験動物にされて肉の苦しみを味わうかもしれない。
どんな内容かはわからないが、私の監視者が「あやなはもっと苦しませなければ」と判断したようだから耐えるしか無いのだ。
逃げ場なんて無い。
経験を積み、魂の格を上げない限り。
むしろ、監視者が与えた”人生”と言う課題を自ら放棄した場合どうなるのか。
私は恐ろしくて仕方がない。
……が、”ここで自殺する”と言うことさえ監視者が見通していることなのかもしれない。
私の中の監視者の定義がブレていることは許して欲しい。
毎日書きながら整理しているため、「きっとこうなんだろうな!」と、書いていて新たな発見があるためだ。
最後にもう一度。
自殺したって苦しむことから逃れられるのは一瞬だけ。
また監視者に”苦しむ生”を生きなければならない器に放り込まれるだけだ。