信じる信じないではなく、そこにいるのだ。
私は霊というものの存在を信じている。
観測者が次の入れ物に放り込む際に逃げ出したか、観測者自身が捨てたかはわからない。
しかし、霊というものはいるんだろう、きっと。
だが、守護霊となるとどうか。
そんな存在は無いと思う。思ってきた。思いたい。
でも、いるのだ。
亡くなった父方の祖母が、私を、見ている。
ただひたすらに私を見ている。
見ているだけなら、ただの霊なのでは?とも思えるが、見られていることに気づいてもう5年になる。
亡くなったのは私が3歳ごろだったと思うから、かれこれ20年以上見られていることになる。
そんな存在を守護霊と呼ばずしてなんと呼べば良いのか。
だって、守護霊なんて言葉に当てはめないと、なぜ見られているのか理由がわからない。
私がまだ小さい頃に旅立ったから、私の成長する姿に未練があるのか?
それにしたって、見すぎ。しかも5年前は私に罰まで与えてきたし。
正直、イヤすぎる。
ただだらしなく寝ているとき、発狂してのたうち回ってるとき、トイレに入ってるとき、すべて見られているのだ。
やりにくくってしようがない。
あと、4年前に亡くなった祖父も加わった気がする。
だって苦しんでいる時期はよく夢に出てくるし。見てるでしょ。
次の入れ物に入ったなら私の夢に出てきたりしないだろう。
いや、夢に出るのは関係ない話なのだろうか?
生きている人間が夢に出てもなんとも思わないが、死んだ人間が夢に出たら”その人が私の夢に介入してきた”と考えるほうがおかしいのだろうか。
とにかく、私は守護霊という存在は信じたくない。
信じたくないのに、認めざる負えない状況にいるのだ。
おばーちゃん、おじーちゃん、私のことなんぞ放っておいて次の生物としての生涯を楽しんでくれ。