楽しい時間をもっと増やしたい。
苦しい日々が続くのは何故なのか。
最近どうにも苦しい時間が増えている気がする。
旦那が帰ってくると「苦しい、苦しい」と訴え、過呼吸になる。
何故こんなに苦しくなってしまったのか。
疑問に思っていると、こんなツイートを見かけた。
寝る前に長女に「今日はどうだった?」と聞くと、「楽しかった!」と毎回言うので、「本当に?」と聞くと、「脳みそが動く前に大きな声で『楽しかったー!』って答えるようにしてる。その後で楽しかったこと何かあったかなって思い出すのね。脳みそは単純だから、口から出る大声には勝てないんだよ。」
— とけいまわり (@ajitukenorikiti) 2017年6月24日
長女お気に入りの「脳みそ単純」理論
— とけいまわり (@ajitukenorikiti) 2017年6月24日
脳みそは実は単純だから、大きな声で何かを言うと、それに騙されてそんな気分になるという理論。
誕生日に「この1年どうだった?」みたいに聞くと、「最高だった!」って答えてる。たぶん、保育園の年中ぐらいから毎晩「楽しかった!」って言ってる。
これを見てハッと気づいた。
私は「苦しい、苦しい」と連呼するあまり、日常生活は苦しいものだと脳が錯覚しているのではないか。
いや、錯覚ではなく苦しいのも事実だが、そう認識してしまうことでより苦しい思いをしているのではないか。
私は言霊というものを信じている。
「あいつはダメなやつだ」と言われてきた人間はダメになる、そう思っている。
いつも「苦しい、苦しい」と言うから苦しくなるのだ。
その記憶が刻まれていくのだ。
しかし、これはどうしたものだろう。
無理やり「楽しい」と言い換えるには、この苦しみは存在感がありすぎる。
過呼吸で「ハァハァ」と言うのをやめるには、苦しみが大きすぎる。
昨年はそんなことなかったのに。
いつからだろう、たしか過呼吸が日常化してきたあたりだろうか。
過呼吸になり始めの私は、ツイキャスをしたり友達と通話することでしのいできた。
つまり、楽しい気持ちで塗り替えるのだ。
今はスマホのゲームにハマったり飽きたりを繰り返している。
遊んでいるときは過呼吸にならない。
もっと楽しいことで埋められれば。何かに夢中になれば。
そうしたら私は救われるのだと思う。