精神病は私に必要だった
久しぶりに上記の本を読んだ。
これは最初の会社で精神病に苦しみ始めたときに、部長がそっと貸してくれた本だ。
初めて読んだとき、ぽろぽろと涙が止まらなかったのを覚えている。
一度読んだ本を読み返さない私にとって、読んだことがあるのにわざわざ買ったということは、よほど気に入っているのだろう。
この本は病気を持って生まれたりおくんが、幼少の頃に語った生まれる前や神さまのこと、心の話をお母さんがまとめたもの。
こどもの戯言ととるには宗教観がハッキリしすぎているし、私は素直に彼の言葉を受け入れて読んでいった。
私は生まれてすぐにアトピー性皮膚炎になった。
かゆくてかゆくて辛かったけど、そこまで重いものでもなかったせいもあり、両親に構ってもらう手段の1つとなっていた。
遺伝というわけでもなくいきなり私が発症したので、りおくんの考えからいくと、これは自分でアトピーになろうと決めて生まれてきたのだろう。
そして統合失調症。これも、わたしは発症する運命だったのだと思う。
仕事のためになりたいと願ってかかった病気であるし。
(それについてはこちらを→なぜ統合失調症になったのか - 統失女の闘病日記)
自己中で周りを思いやれない私にとって、統合失調症にかかるのは必要なことだったのだ。
でないと、今頃「うつは甘え」なんて言う心無い人になっていただろう。
本の話に戻るが、りおくんは本当に面白い宗教観を持っている。
まるでそれが真実であるかのように錯覚させられる。
……というのも、彼が嘘をついていると言いたいのではなく、この世の答えのようであるが、それをまるごと信じるのは面白くない、と言った感じだ。
だって、私はりおくんではない。私なりの宗教観があっていいはずだ。
りおくんの言葉を答えにしてしまったら、生と死や神のことを考える必要がなくなってしまう。
私は自分なりの答えを見つけたいのだ。神とは、心とは、生物の生きる意味とは。
私は未だにどこまでの生物に心があるのか見極められていない。
心があるということは考えることができるということで、つまりそれは脳みそを持っていることになると思っている。
では、脳みそがない植物や虫には心がないのか。……うーん、無さそう。
でもそうすると、私の「監視者(神)が命の徳を積むために最適な生物に生まれ変わらせている説」が説明できなくなる。
心がない生物に生まれ変わらせられた場合、どうやって徳を積めと言うのか。
新しく生み出された魂が生きるのに慣れるための練習台なのか、もうどうしようもない極悪人の成れの果てなのか。
後者だったら嫌だな。前者であって欲しい。
監視者が新しく魂を作り出す
↓
微生物や植物など、徐々に複雑な生物として生きさせる
↓
心のある生物となって徳を積ませる
↓
監視者の仲間入りをする
そう、監視者はどんどん仲間を増やし、生物を増やしていこうとしているのだ。
生物は徳を積み最終的には神となる。書きなぐっている最中に思いついたにしては壮大な夢物語だ。
しかし、そうなると神は楽園に住む優雅な存在なんかじゃなくて、”監視者”としての役割をもった労働者になってしまうのでは?
うーん、この考えもなかなか辛いというか、夢がないというか、また考え直さねば。
しかし、こういった人生においては無意味であるかのようなことを考えるのは本当に楽しい。なんというか、こんな無駄なことは人間しかしないんだろうな、私って人間なんだなという一種の優越感。
あぁ、こればっかりはやめられない。