苦しみとは不安のことだった。
ふと気がつくと苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
苦しいなんてことは日常の一部であり、逃れられないものだ。
ある日、下記のツイートを拝見した。
ストレス貯めがちなひとに見てほしい。
— せるこ (@seruko) 2017年11月13日
なんかグチとか言いにくい風潮になってる気がするけど、ストレスを言語化するの大切よって話。私は一度壊れて(鬱)から、些細なことでも意識的にTwitterに垂れ流すようにしてるウーマンだよ。 pic.twitter.com/DIhUns1Fyt
小出しにせずに貯めとくと言語化がどんどん難しくなります
これをみて、苦しみも同じなんじゃないかと思った。
私は”なぜ”苦しいのかがわからなくなっている。
結果、旦那や先生に説明できずに苦労するのだ。
そこで、旦那と”なぜ”苦しいのか分析してみることにした。
まず出てきたのは「不安で苦しい」
「ずっと小児用の薬が続いて、いつになったら大人用になるのかがわからなくて不安だ」
「ちゃんと眠れるかわからずに不安だ」
「旦那がちゃんと無事に帰ってくるか不安だ(車にはねられた前科あり)」
「一日寝ていただけで時間を無駄にしたんじゃないかと不安だ」
一度「不安で苦しい」と出てからはスラスラとでてきた。
私の苦しみは不安なのだ。そういえば障害年金の診断書の抑うつ状態に○が付いていた。
実際、抗うつ剤も処方されていることだし。
11月の症状を書き留めねばと思っているのだが、パソコンに向かう気にならない日が続く。
また寝てばかりの日々に戻ってしまい、不安だ。