「死にたい」は死ぬほど辛いし死ぬしか解決方法が見つからないの略
精神病患者をフォローしている私のTwitterでは、「死にたい」とツイートする人が多い。非常に多い。と言うか毎日目にする。
いわゆる”病み垢”TLでは日常茶飯事のことだし、そもそも軽い気持ちで死にたいと言う人も多いと思う。
しかし、実際に声に出してみるとどうなるか。
「死にたい」と言うと怒られる。
なぜそんなことを軽々しく言うのと説教される。
でもね、私の「死にたい」は「治りたい」なんだ。
叶わない願いが心からの願いだとしたら、もう死ぬしか解決方法は無いんじゃないかな。
私の母は寛解している。
寛解すれば治ったも同然と思われるかもしれない。
しかし、毎日3回薬を飲むし、月に1度は通院している。
そんな状態を”治った”と言えるだろうか?
統合失調症患者は死ぬまで開放されることが無い。
永遠に戦い続けなければならない。
それが監視者に与えられた課題だから。
私は自殺が悪いことだとは思わない。
しかし、救われるとも思わない。
「周りがどれだけ悲しむ・迷惑がかかると思っているの!」と怒る人もいる。
死ぬほど追い込まれた人間に対して、まだ周りへの配慮を求めるなんて酷い人だと思う。
結局は死にたい人のことなんてこれっぽっちも考えていないのだ。自分のことばっかりで反吐が出る。
私は、フォロワーさんたちに死んで欲しくない。
しかし止める権利もなければ止めようとも思わない。
ただただ、その選択をせざるを得なかったことが悲しい。