私は失敗作なのだ。
深い深い罪悪感。期待に答えなきゃという気持ち。ぐるぐるぐる。
私は父に「子育てに失敗した」と言われたことがある。
これがなかなかのトラウマと化しているのではと推測される。
小学校のころ、私は塾や習い事に通うこともなく遊び暮らしていた。
小学6年生になったある日、算数の授業で当てられて全く答えがわからず、自分のバカさ加減にやっと気づいたのだ。
そこで私は進研ゼミをやらせてくれないかとお願いした。
そして私は勉強することが好きになった。
進研ゼミの問題集は面白かったし、授業が理解できることが嬉しかったのだ。
テストで良い点(といっても80点くらいだが)をとると、とても驚かれた。
しかし一方で、私が大好きなイラストに関しては何も言ってもらえなかった。
上手に描けたと思って見せても、「パパにはわかんないよ」としか答えてもらえなかった。
私は勉強するしかなかった。
高校は私の希望で美術系の学校に通わせてもらった。
ここで描いた絵も両親には評価されなかった。
勉強もそこそこ頑張って良い点を取り続けた。褒めてもらいたい一心で。
それなのに、父は冗談のように「子育てに失敗した」と言ってきた。
勉強頑張ったのに?パパさんは絵に興味がないから?ゲームばっかりしてたから?家事のお手伝いしなかったから?私は、私は、失敗作なの?
今までの頑張りじゃ足りないんだ。お仕事、そうだお仕事を頑張って褒めてもらおう。
ゲームイラスト制作を志望していた私は、Webデザイナーになった。
Webデザイナーになったことを父は大層喜んでくれた。
曰く、「ゲームなんかよりよっぽど社会のためになる」ですって。
言いたいことは色々あったが、私は褒められたことで何も言い返せなくなっていた。
私は父に認められたい。認めてもらうには働くしかないのだ。
ただ生きているだけじゃ失敗作だから。
社会に出て精神を病み、病院に行くときも父の許可が必要だった。
苦しければ1人でも行けるはずなのに、「薬漬けにされるから精神科には行ってはいけない」と言う言いつけを守っていた。
自分がおかしいと思い始めても、許可が下りるまでは我慢し続けた。
そしてあまりの苦しみにダメになりそうになったとき、「精神科に行かせてください」とお願いしたのだ。
こうやって書いていると父親のことが憎いのか?と思われるかもしれない。
逆だ。未だに父に認められたくてあがいているのだ。
病気になり、精神障害者になってしまった私を、何もできない私を、父に認めて欲しい。
しかしそれができないから、私は働かねばならないのだ。