”統失の私”はいらないのだ。
旦那と暮らしている今、辛いときは旦那に頼っている。
旦那が会社に行っている間に苦しくなったとき、すぐ近くの実家に帰ったが、後悔する羽目になったことがある。
私への対応に困っていたのだ。
「つらい。死にたい」
そう言ったとき、母は「誰がうさぎの世話をするの」と返してきた。
死にたいほど辛いと思っている私への心配ではなく、うさぎの世話の心配をしたのだ。
これに私は絶望した。
思い返してみれば、実家にいた頃もそうだ。
動けず話せなくなった私を両親は放置した。
過呼吸で倒れたときも何もしてくれなかった。
苦しくて唸っていた私を放置し、2人で談笑していた。
そこに私はいなかった。
両親は私のことを心配してくれているし、愛してくれていると思う。
しかし、”統失の私”は対応に困るのだ。その結果、”統失の私”は無視される。
旦那がいないとき、苦しくなったら、友達やTwitterに頼るしかない。
それでもダメなときは薬に頼るだけだ。
ODってしたことないから怖いな。
困ったらすぐに頼ろうとしていたけど、もう自立しないといけないようだ。
何度でも言う。両親は”統失の私”を必要としていない。