周りの人は優しい。ゆえに、限度がわからなくなる。
私は今、全力で周りに頼っている。
Twitterのフォロワーさん、友達、旦那、ツイキャスのリスナーさん。
苦しくなったらすぐに色々なところで喚き散らしている。
そうすると、たいてい誰かが助けてくれる。
話を聞いてもらう。通話をしてもらう。そんなことで苦しみは緩和される。
しかし、その後に襲ってくるのは「こんなに頼って良いのか?」という罪悪感だ。
これだけの迷惑をかけて、縁を切られるのではないか。それが怖い。
あと、何回なら甘えて良いのか。
あと、何回で縁を切られるのか。
怖い。怖い。怖い。
それでも周りに助けを求めるのをやめられないのだ。
そこで思いついたのが、病院のカウンセリングだ。
これなら対価を払っているので、時間内ならいくら頼っても問題ないだろう。
通常のカウンセリングは相場が1時間1万円ほどする。
保険が効かないので、何度も通うにはつらい。
だから、カウンセラーのいる病院に行って保険内の対価で済ませようとしている。
今通院している病院の先生はどう思うだろうか。
どこか紹介してくれるだろうか。
それとも、「カウンセリングを受けるほど症状は重くない」と怒られるだろうか。
先生に聞いてみるのが怖い。怖い。怖い。
しかし、怖がっている場合ではない。
私の苦しみは溢れ出し涙となってこぼれ落ちた。
本来なら先生に掬ってもらうハズの苦しみだ。
薬の力で押さえ込んでもらわねば。
「頼って良いんだよ。甘えて良いんだよ」
そんなありがたい言葉を心の底から信じることができない。
「そんなこと言って、限度というものがあるでしょう?知ってるのよ」
私はその限度がわからなくなっている。
手を差し伸べてくれたら、引きずり下ろしてしまうかもしれない。
私は、うつ病になった友達に引きずり下ろされたことがある。
勝手に優しくして、限度が超えただけなのだが。
自分が優しくすることが下手くそなので、周りのことも信用できないのかもしれない。
こんなに吐き散らしているが、今後も今までと同じように周りに縋るのだろう。
そんな自分が滑稽で仕方がない。