余命4年。
冷戦中だった父から、急に「お父さんの病気のことで話があるから、今度うちに来て欲しい」というメールが届いた。
嫌だなと思いつつ了承したが、それを旦那に愚痴ると「話があるから来いって、ナチュラルにこちらを見下してるよね。それに、ここまで関係を拗らせておいて、病気になったから話を聞いてだなんて虫が良いにも程がある」と怒った。
話を聞きに行くまでの間、「いったいどんな話なんだろう。もしかして生死に関わる病気になったのかな?それで、亡くなったあとにお母さんのことをよろしくとか言われちゃうのか?」などなど、すごく不安になり過呼吸になってしまうことがあった。
行くのをやめてメールか電話にしてもらうことも考えたが、父はメールを書くといらない情報まで書くから、めちゃくちゃ長い文章になると思う。それを読むのは面倒すぎる。かといって電話にするのも嫌だし、行くことにした。
当日、実家に行くと母はおらず、どうしたのか聞くと「寝室で寝てる」とのこと。
父はまず「今日は来てくれてありがとう」と言ったのだが、冷戦中なのを忘れているのか?感謝より先に謝罪ではないのか、とモヤモヤした。
そして病気の件だが、「がんになって余命が4年だから、今貸してる家に住み続けて母さんのことを助けてあげてほしい」という内容だった。
追い出そうとしたのはそっちの癖に、今更やっぱり無しでというのは本当に自分たちのことしか考えてないな、とイライラした。
「もう家を買ったので無理です」と言うと「そうか……」と言うだけ。帰り際に「ごめんな……」と言ってきたが、それは最初に言うべきでは?と思った。
このことを旦那に話したら「お義母さんを除け者にする意味がわからない」
「出ていけといったのに、やっぱり出ていかないで老後のお世話をしてくれだなんて本当に勝手すぎる」
「ふと思ったけど、この期に及んで、孫に会いたいとか〇〇(息子の名前)の話題が出なかったことにも驚き。地雷かもしれないから言わなかっただけかもだけど、結局、余命長くない病気だから後のことをお願いしたいって言う、自分たちだけのお話だったね」と怒っていた。
旦那経由で義母に報告してもらったところ、義母も怒ってくれた。
友達に愚痴ったら、その子も怒ってくれた。
ただ、なぜか私は怒りの感情があまりなく、虚無になったり、悲しくて泣いてしまったりした。あれだけ父を憎んでいたのに。早くこの世から消えてほしいとまで思っていたのに。
そして、母はどう思っているのだろう?と疑問に思った。本当に私に助けてほしいと思っているのか。自分の貯金で施設に入るなりするつもりがあるのか。
一度、電話したいところだが、万が一、父が母に自分の病気のことを話していなかった場合大変なことになるため、まずは父にメールを送ろうかと思っている。
母は本当に父のことを愛しているから、余命4年というのはあまりにも辛い現実だと思う。ショックで病気がぶり返す可能性があるから伝えていない可能性がある。
そこまで気にかける必要は無いのかもしれないが、心配なのだ。
父と和解することも考えたが、向こうからちゃんと謝罪をしてくれないと嫌だと思う自分がいる。かといって、「謝罪してくれたら許すよ」なんてことは言いたくない。
このままでは悔いが残る気がするのだが、どうしたらいいのかさっぱりわからない。自分がどうしたいのかがわからない。
前に書いたとき(家を追い出されることになった - 統失女の育児・闘病日記)には、
もう本当に嫌になってしまったので、父にもしものことがあっても会いに行きたくない。今あるこの憎しみが、そのうち消えてなくなることはあるのだろうか?まさか親と憎み合う関係になるとは思っていなかった。早く開放されたい。
なんて思っていたのに。
どちらかと言うと和解したい気持ちのほうが強い。
でも、あれだけのことをされたのに?と思うと、どうにも決断できない。
どうしたらいいんだろう。